ちょっと思考がおいつかない
老後はウージーでゾンビ退治するババアになりたいとおもいましたが腰痛持ちなんで反動に耐えられるか不安です。すみません思考が飛びました。何言ってんだろうねわたし。 あと4月からずーっと風邪引いて平成またぎました。
感想ここから
5月の感想ですが、
5月の感想…
辛いなおい!
場面は言語の塔に戻り銃撃戦の中精神的に死にかけているスプリューウェルの後輩記者さんです。気の毒に従軍経験が無いらしく、うずくまりつつメモを書くしかないという状態。
クトゥルフTRPG系でよくある「書いてないで逃げろよ」ネタが出てきました。これ確かバブリーズあたりのリプレイで読んだことあるんですが、初出いつなんでしょうね。ちなみに偉大なるクトゥルフ神話系列ですが、インターネット文化にずっぶりハマった後にラウグラフトを読んだんでめっちゃ後悔しました。
ネタが全部割れてるから「やっててよかった公文式!(よくねえよ)」「この問題は進研ゼミで出たところ!(予習したくねえよ)」みたいなことになりました。ホラーものはネタバレ厳禁ですな。
似たようなところだとジョジョ第3部もかなりあとになってから読んだもんで、どれもこれもどっかで見たわこれーなんてことになってさっぱり楽しめなかったり。今後、若い人はほぼみんなたどる道だと思うと全国の児童図書館にラウグラフトとJOJOとパンシザを置いとくべきでしょう。
さて、もはや定番となってしまった「書いてないで逃げろよ」問題。もともと「窓に!窓に!」ってやつはラウグラフト本家がやってるやつで、みんな真似てるわけですが。多分、窓に!ってあるから違和感あるんですよ。普通文字書くときは手元見てるだろ。窓の方見ながら文字はかかない。
窓見る余裕があるなら逃げろよって話で、長い前置き終わって戻りますけど今月のパンシザでも視界の話が出てきましたね。
ちゃんと『記者は塔の中にいるので戦車だとわからない』と提示してある。
そりゃまああの時点で戦車だと知ってるやつはサソリ以外ほぼいないわけですが、『誰が何を知っていてなにを知らないか』という把握はわりといい加減な扱いがされることが多い。
というより媒体問わずに適当いいますが、最近は読者の視点=キャラの視点になってることが多く、私が蛇蝎のごとく目の敵にしてる「な」の字で始まるアレとかほぼ一人称。一人称どころか主人公=作者=読者とかいうすげえ世界になってますね。
ちなみに小説だと逆に『視点』の処理が非常にめんどくさく、三人称神視点がありえねえからやめろ論争が新世紀初めから巻き起こり喧嘩になってたわけですが、令和となった現在三人称とかいうレベルではないもんが売れてるってのが皮肉すぎる。
漫画だとカメラ視点(小説でいうと 三人称神視点 )が楽に使えるので有利です。ただ、裏を返せば『キャラ視点』と『読者目線』が往々にして一致するため、あんまし『誰が何を知っていて何を知らないか』という論点は無視されがちです。私が勝手にそう思ってるだけですが。
だいたい、キャラが知らないことは読者も知らないし、知ってても『知らない』ことが提示されていて謎になってることが多い。もしくはキャラのしらないこと同士がぶつかりあってもめてるとか。これ恋愛ものでよくあるパターンですね。
で、話を戻すと、ただのモブ(記者さんごめんね)にまで『誰が何を知っていて何をしらないか』をきちんと処理してるのは、さすが『情報』を扱う漫画だけのことはあるな、と。
それが今月の感想でございます。書いてるのは6月だけど。