『ハーモニー(伊藤計劃)』と多様性の話

この騒動でハヤカワが半額セールやってたから買ってみた。ネタバレなので注意。

実を言うとあんまりこの作者とは反りがあわない。たぶん私がバカすぎて理解できないんだと思う。

『虐殺器官』を読んだときもなんつーか「肝心な虐殺器官って具体的になんなんだよ」と思った記憶がある。その意味で某エヴァにすごくよく似ている。

未だにエヴァってなんなんだかよくわからない。伊藤計劃もよくわからない。でも魅力的だ。

『ハーモニー』の世界は健康と博愛をテーマにしたユートピアだ。主人公とその友人たちはその世界に息苦しさを感じて反抗している。

まずこの辺にまったく共感できなかった。

私はひどい近眼である。視力0.04だ。メガネがなかったら何にもできない。いつもいつも、メガネのないクリアな世界に憧れている。

私はさらに氷河期であまり恵まれていない。正直なところ健康で博愛精神に満ちた世界なら今すぐ移住したいくらいである。

さて、この作品を書いた時、作者は死病と闘っていたらしい。それを聞いた時、「よく健康と博愛に満ちた世界を否定できるもんだ」と考えたものである。

私は根性なしで弱メンタルだから苦しいことも辛いことにも耐えられない。病気は治してほしいし健康でいたい。で、しばらくかんがえたのだが、この『生府』というのは病院の暗喩ではなかろうか。

若くして人が病魔に蝕まれる時、彼ら彼女らは限りない優しさと受容と諦めを持って受け入れられる。わたしにも覚えがあるが、医者に励まされるとわりとアウトである。匙を投げたともいうからだ。おかげさまで誤診だったからなんとかなったが。

で、かつて若かった自分が誤診をくらい、通院のたびに病名をいちいち説明するたびにめんどくさくなった。気の毒がられるし励まされるがこっちはもう飽きてるのだ。もはや治りもしない病いなので説明するのも面倒くさい。

わたしの病は誤診であったし、珍しいものであっても死ぬようなものではなかった。だからめんどくさいくらいで済んだ。つうか今にしてみたら心配してくれた人に申し訳ない。

しかし死病だったら励ましや慈しみはウザかったんではなかろうか。なんの役にも立たないし、こっちからしたら諦めのついた話を何度も何度も蒸し返されるようなものだ。腹立つよりもうなにもかもめんどくさい。

主人公やミァンが苦しめられた息苦しさ、作中では健康のためなら死ねるタイプの人間にはおそらく理解されない理想郷への反感は、そういう感覚ではなかったか。

伊藤計劃は肺がんで亡くなっている。喫煙者かどうかは知らないが、作中で繰り返されるタバコへの耽溺は禁じられたゆえの渇望ではなかったろうか。

作品では、主人公が身体にセットされたナノマシンに仕組まれた人類補完計画じゃねえハーモニー計画に対して動きだす。

結果としては、計画を止めることはできなかった。人類は意識を手放し巨大なひとつの意識になりました。人類補完計画です。

しかし、まあ。

コロナ禍のなかで私はこれを読んだわけだが、まあ、おそらくこれはねーなと思ってしまった。コロナで外出自粛になったが、私のような未来永劫外に出たくないタイプがなぜ人類から淘汰されなかったのかよくわかる。

普段なら外交的で明るい人間が有利だが、コロナみたいな時には家から出ない人間の方が有利なのだ。多様性が必要な事を目の当たりにしている。

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